お客様が書き留める建築日記-その5-【全13話】

この文章は、土地選びから竣工まで、建築当時のお施主様のさまざまな率直な想いを書き留めて下さっていた「建築日記」です。今回は、「華やかなエレガントフレンチ」の奥さまの文章(2011年7月〜2011年11月)をご紹介します。

目次

01|お家が欲しい…(1)

子供の頃、所謂『転勤族の娘』でした。

親の仕事の都合で引越しと転校を繰り返し、住む家はいつも借家。
せっかく仲良しのお友達が出来ても、 数年でまた転校。

当時はそれが辛くて、父親に『私には故郷が無い!』と噛付いたことも、今にして思えば、よくもあんな残酷な言葉を親に向かって吐けたものです。

そんな経験をして育ったせいなのだと思います。
家を持ちたいという願望が若い頃から強かった私。
でもそうそう簡単に、家なんて持てるもんじゃないんだということをこの後思い知らされるのでした…

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02|お家が欲しい…(2)

鎌倉をはじめて訪れたのは学生の頃でした。

海といえば日本海しか知らず、海辺の眺めといえば、漁港かコンビナート群ばかりだと思っていた私です。

サーファーと観光客が群れ成す鎌倉の海岸沿いは衝撃でした。

住みたいと思いました。

一も二もなく。

しかしその時点では只の夢でしかなく、ましてそこに家を建てようとは露ほども思っていませんでした。

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03|お家が欲しい…(3)

結婚して家族と共に鎌倉に住みはじめたとき、実は私の鎌倉暮らしは二度目のリベンジでした。

大学を卒業後社会人としてほんの数年だけ暮らした鎌倉に主人の仕事の都合で再び舞い戻ることが決まったとき、私は臨月でした。
親兄弟はおろか知り合いも誰も居ない土地でのはじめての出産育児に周りの人間が全員反対してもそれでも主人だけを頼りに鎌倉で再び暮らしはじめました。

私は、自分は一生独り身だろうなとなんとなく覚悟していた口です。
結婚はおろか子供を持つことなんて、まるで人生の選択肢の中にありませんでした。

そんな私でさえ、かつて鎌倉で過ごした時分。
山があって海があって、都市の便利さを感じながらも自然を味わうことが出来て、名所名跡が暮らしの中に溶け込んでいるのに、変に堅苦しい気構えがまるで無い。
こんな所で子供を育てられたらどんなにいいだろうと夢見たものです。

その私が何かの手違いのように家族を持ったのですから鎌倉に住む以外は考えられなかったのです。
しかも、ただ住むだけではなく住み着くことが最終目標でした。
転居を繰り返し故郷がないと泣いたあの思いを我が子には決してさせない為にこの地に家を構えることが必要だったのです。

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04|お家探し(1)

家族で鎌倉に暮らしはじめて3年目。
かくして我が家は本格的に住活を開始しました。

しかし、何からはじめたらいいのか見当も付かないのです。
手始めに毎週末山のように入ってくる不動産の折り込みチラシを見てみる…
こんなのは住活とは言いません。
ネットで適当に不動産情報を検索してみる…
埒が明きません。
そりゃあ、出来ることなら注文住宅を建てたい。
しかしその為にはどうしたらいいのか。
土地も持っていないのに住宅会社に問い合わせなんかしていいものなのか。
右も左も何もわからない状態で、ああだこうだと迷っているうちにあっという間に一年が経ちました。

さすがに、これでは何時まで経っても家なんか持てないと思いました。
そこで住活二年目、とりあえず市内の大きな不動産屋を訪ねました。
神奈川県下で手広くやっている大手を何件か訪ね、そこで言われるがままに土地や建売、中古の売物件まで見に行きました。

このとき、上の子は4歳で下の子はまだ産まれて半年を過ぎたかどうかという頃。
自分たちは注文住宅を建てたいから土地を紹介して欲しいと頼んでも、いい建売なんでちょっとついでに見に行きましょう、とか。
築浅の中古なんで試しに内見だけでも、とか。
週末になる度にぐずる子供を連れての物件巡り。
しかも全部がぜんぶ的外れ…
さすがに身体に堪えて体調を崩すこともしばしばでした。

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05|お家探し(2)

遅々として進まない住活のさなか、主人に訊かれたことがありました。

『…じゃあ君はさぁ、どんな家がいいの?』

オレンジ色の瓦屋根に白壁の、所謂プロバンス風の建売を見に行った後のことです。
私のヨーロッパ好きを主人も理解していましたし、私自身もプロバンススタイルのお家で充分満足できると思っていました。

でも違ったんです。

実際にそういうお家を見て、お宅の中に入ってみると、何かが違うなって思ったんです。
この違和感は何だろうと考えたとき、私は自分が学生の頃に行ったイタリアを思い出しました。

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06|お家探し(3)

美術を学んでいた学生時代、冬のイタリアを2ヶ月弱掛けて旅しました。
ローマからミラノまでを北上する旅で、プチホテルやアグリツーリズモを利用しながら、それまで画集や美術書でしか目にすることのなかった巨匠の作品や、世界の至宝と呼ばれる彫刻、世界遺産に名を連ねる建築の数々を観て回りました。

あの時肌で感じたあの感覚。
目にした街並みや人々の暮らし。
きっと自分が求めるものはあれなのだと思いました。
主人には、あまり見せたことのなかった旅の写真を広げて、そんなことをとりとめもなく話しました。

しかし、私も判っていました。
それを遠く離れた日本で手に入れることは容易ではないはず。
それっきり、プロバンス風の建売を不動産屋に断ってからは暫らく私達の住活も休止状態となりました。

お家探しが暗礁に乗り上げ、私がすっかりやる気を無くしていた頃でした。
主人がネットで見つけて資料請求したんだと言って、ある住宅会社のパンフレットを手渡してくれました。

それが、ブルースホームさんでした。

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07|グッディーさんを訪ねて(1)

私たちがグッディーホームズさんの事務所を訪ねたのは、3月11日東日本大震災からまだ10日も経っていなかった頃でした。

震災が起こるほんの数日前に、私たちはようやく自分たちの求める条件に近い土地を見つけていました。

いろいろな事を、悩みました。
私たち夫婦は東北の出身で、実際に私の知り合いは津波による被害で自宅が床上浸水の被害を受けました。
テレビでは毎日目を覆いたくなるような悲惨な現状が報道されているのに、暢気に家探しなどしているばか者は私たち家族だけかもしれないと、罪悪感のようなものまで感じていました。

しかし、子供の就学など諸々の事情を考えると、どうしてもこのタイミングで家探しをするしかないと夫婦で話し合い、かねてから資料を見て興味を持っていたグッディーさんを訪ねてみることにしたのでした。

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08|グッディーさんを訪ねて(2)

グッディーさんを最初に訪ねてまず驚いたことは、スタッフの方が全員女性だったことでした。
そして、私たちを担当してくださった清水さんの、諸々の説明の丁寧さに驚きました。
それまで何軒もの不動産屋を回ってきた私たちです。
土地の購入やローンの組み方など、わからないことだらけのずぶの素人の私たちを、なかには面倒くさい客だとけんもほろろに扱うところもありました。
清水さんの話を聞いて、この人の説明は違うとすぐにわかりました。

話をすすめていくうちに、ここにお世話になりたいなぁと、気持ちが固まっていきました。

このとき私たちが見つけていた土地は、結局縁が無く話は流れてしましたが、これを切っ掛けにグッディーさんと二人三脚で、土地探しからはじめて行くこととなったのです。

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09|土地探し(1)

グッディーさんにお手伝いして貰いながら土地探しを始めて、私たちは改めて鎌倉に土地を持つ事の難しさを目の当たりにしていました。

まず物件の絶対数が少ない。そして、高い。
これに尽きるのです。

何を今更という感じですが、本格的に土地探しをはじめて、改めて私たち家族はこの現実に叩きのめされていました。

グッディーさんと土地探しをはじめて一ヶ月が経った頃でした。
主人がネットで、ある土地を見つけました。
坪数は50坪ちょっとで、二駅利用可能で学校やスーパーも徒歩圏。
価格は相場よりもだいぶお買い得で、そして何より、海まで歩いて遊びに行ける距離でした。
まさに、どんぴしゃでした。
海の近くに住みたいというのは、家作りに尽いて何ひとつわがままを言わない主人のたったひとつの望みでした。

土地の下見に行ったその日は、ひどい雨でした。
同行すると言ってくれたグッディーの清水さんの申し出を、雨が酷いからと私たちは一先ず断って、家族だけで出掛けました。
あの時、彼女に一緒に来てもらっていたら状況は変わっていたかもしれません。

私たちが土地購入の申し込みをしたのは、その二日後。
しかし蓋を開けてみれば、その僅か一日前に他の申し込みが入っていました。
まさにタッチの差で、私たちはようやく見つけた希望に適う土地を買い逃しました。

あの時の主人の落ち込み様は、後にも先にもない程に酷いものでした。
ようやく、ようやく叶うと思った夢が消えて無くなった。
まさにそんな状態でした。
食事もろくに喉を通らず、ありもしない原因をぶつけて夫婦で言い争うばかり。
あまりのショックから立ち直れず、とうとう主人は土地探しを暫らく休みたいとグッディーさんに伝えてしまったのでした。

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10|土地探し(2)

土地探しを暫く休みたい…。

主人からの電話を受けた清水さんは直ぐに私の携帯に連絡をくれました。
私共の力が及ばず、と彼女は何度も謝ってくれましたが、こればかりは誰が悪い訳でもないんです。
土地探しって、本当に運とタイミングなんだと思いました。

このとき主人は本当に1年位土地探しを中止するつもりでいました。
手に入るかも、そう期待しては、やはりダメだったと落胆する。
その気持ちの乱高下に正直私たち夫婦は参っていました。
こんなに辛い思いをするくらいなら一生賃貸暮らしでも構わないから、心穏やかに過ごしたい。
そんな風にメンタル面で弱っていた私たちを、清水さんは的確にサポートしてくれました。

彼女と相談し、私は主人には内緒でグッディーさんと土地探しを進めました。
確かに私自身辛かったですが、家族のこれからのことを考えると、もう待てませんでした。
清水さんは鎌倉市内の在庫物件をもう一度精査して、私たちの希望と予算に適うものを探し直してくれました。
もう二度と買い逃しをするまいと、いつ何時でも現地に付き合ってくれました。
社長さん自ら車を運転して案内してくださったことも。

そうしてひと月程探した頃でした。
ようやく、ここならという土地に再び出会いました。
土地面積も買い逃したあの土地とほぼ同じで、価格も希望に副う程度で纏まりそうだという、売り出し前の土地でした。
閑静な住宅地の一画で、海は直ぐそこでした。
これならばと思った私はここではじめて主人に事情を説明し、その物件の詳細をみせました。
土地探しは中断しているものと思っていた主人は驚いていました。

家族で現地を見に行って辺りを歩いてみて、これならば文句はないだろうという結論に一度は至りました。
主人も納得して、この土地を買おうと心を決めたように見えました。
土地購入など人生初めての経験です。
何か、迷いが残るような気がするのは、初めてのことに動揺しているからだと、今にして思えば、夫婦で無理やり納得しようとしていました。
しかし、冷静になればなる程、やはり気懸かりは消せませんでした。

その土地は、小学校が遠かったのです。
学校に通う為には、交通量の多いうえに歩道の細い幹線道路を、片道2キロ歩かなければなりませんでした。
親のわがままのしわ寄せが、子供に行くようで決心が付きませんでした。
広さと価格と立地を照らし合わせても、他にもあると直ぐに諦められる場所ではありませんでした。

夫婦で何度も話し合い、それでも結論を得られずに居たとき、思わぬ連絡がグッディーさんから入りました。
売り主が、約束していた価格では土地を手放さないと言ってきたというものでした。
がっかりしたというより、私は少し安堵していました。
改めて、土地探しの難しさを実感すると共に、何か気懸かりのある土地を買えば、その先ずっと後悔が残るのかもしれないという結論を得ました。

土地探しは再び振り出しに戻りましたが、私たちはこうやって少しずつ、本当に手に入れるべき土地を見抜く、目のようなものを養っていきました。

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11|土地探し(3)

再び暗礁に乗り上げたように見えた私たちの土地探しでしたが、そこは清水さんが迅速に動いてくださいました。
当時、私たち夫婦は彼女のことを「鉄の女」と呼んでいました。
勿論、悪い意味ではありません。
私たちのようなストライクゾーンの狭い厄介なお客のどんな要望にもへこたれず、なんとか条件に適う物件を探し出してくる。その打たれ強さというか、不屈の精神が、まさに鉄の女と呼ぶに相応しい具合だったのです。

季節は確か、半袖を着はじめた頃だったと思います。
彼女は私達に、モノレール沿線の駅から徒歩2分という物件を紹介してくれました。朝夕はこの湘南地域でも指折のお嬢様校として有名なあの学校の生徒さん達でごった返す駅でした。

閑静な住宅街の一角で、日当たりのいい角地。
文句無しに見えました。しかし、実際現地に行ってみると土地を取り囲んでいる擁壁に難ありでした。昭和2,30年頃の物と思われる苔生した擁壁は、それ自体趣があっていいのだろうけれど、どうも私たちの求めるイメージとは違うような気がする。既存の擁壁を新たに作り直すことは資金的にもほぼ不可能な話で、かと言ってもう悠長に土地探しをしている暇はない。
もう、ここしかないのだと自分達に言い聞かせて決断するべきなのか。それともまた、いつ出てくるか分からない物件情報をストレスを溜めながら待つのか。
またしても私達は煮詰まってしまっていました。

そんな余裕の無い状況を、清水さんは分かってくれていたのでしょう。
グッディーでお家を建てられた他のお客様のお宅にお邪魔してみませんかと、このとき提案してくれたのです。
最近出来上がったばかりのお宅二件と、建築中のお宅一件を案内してくれました。

建築中のお宅は勿論、今現在暮らしてらっしゃるお宅まで見せていただくなんてととても恐縮しましたが、実際にお宅を見せていただけたことはとても貴重な経験でした。
それまで紙の上でイメージするしかなかったものを実際に目にすることが出来るというのは、文字通り百聞は一見に如かずでした。
そして何より、こんな素敵なお家を手に入れる為なんだからもっと頑張らなきゃと、ちょっと落ち込んでいたところに元気をいただけました。
大きなガレージとお子様のお部屋のかわいい小窓がとても印象的だったN様邸、

まるで映画のようなハイセンスなインテリアと風格あるニャンコちゃんが素晴らしかったH様邸、

明るく広々とした吹き抜けのリビングがなんとも居心地が良く、ついついお茶までご馳走になってしまいましたY様邸、

皆様本当にありがとうございました。
この場をお借りしてもう一度お礼を申し上げます。

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12|土地探し(4)

気持ちも新たに、もう暫く土地探しを頑張ろうと決心した頃でした。
本当に降って沸いたように、再び清水さんから土地の話が舞い込みました。

私たちには降って沸いたようでも、本当は彼女が方々手を尽くして探してくれたものだったのでしょう。
結論から言えば、それこそが私たちの探していた土地でした。

雨の中、社長さん自ら案内してくださったその場所は、江ノ島を望む海沿いから程近い、古くからの住宅地でした。
古家付きで解体の必要はあるものの、立地や広さ、環境など、どれを取っても申し分のないものでした。
なによりも、ひと目見てすんなりと「あ、ここだ…」と思えるものがありました。
それまで買い逃しや条件の不一致などで本当に辛い思いをしてきました。しかし、その経験が本当に手に入れるべき土地を見抜く力になりますと、辛抱強く言い続けてくれた清水さんの言葉が、本当だったんだと改めて思いました。

ここに骨を埋めるぞ、と主人が言って、私達はその土地を購入する意思をグッディーさんに伝えました。
不動産業者とのやり取りや金融機関との契約など、はじめて尽くしでちんぷんかんぷんの私たちには、グッディーさんが頼りでした。

土地購入の申し込みをしてから契約に至るまで、気が気でなく何事も上の空の日々が続きましたが、苦労の甲斐あって私達は、8月の終わりにようやく捜し求めた土地を手にすることが出来たのでした。

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13|すてきな誕生日

土地が決まった私達は、早速グッディーさんと家の間取り図面に取り掛かりました。
ようやく、家作りのスタートラインに立てたといった感じでした。

ここに至る以前にも既に、私はお気に入りのインテリア雑誌に付箋を山ほど付けたものをお預けしたり、(しかも1冊や2冊ではなく…)

この映画の主人公が暮らしているアパートメントのインテリアが素敵なんです、と言ってみたり、

この料理研究家の御自宅のキッチンが理想なんです、と言ってみたり、

かなり無理難題をグッディーさんに押し付けていました。

設計士の近藤さんが以前から作ってくれていたラフ案をもとに、キッチンは絶対対面式とか、脱衣所に洗濯機は置きたくないとか、

シューズクロークからそのままスルーで家事室とキッチンに行きたいとか、私のわがままをまるでパズルを組み合わせるように、方眼用紙の上でくるくると組み合わせてくれるんです。

そして最終段階に入って、前々からお話だけは聞いていた、一級建築士の先生が登場されました。

これは私の勝手なイメージというか妄想だったのですが、都内に事務所を構える男性の一級建築士の方と聞いて、某リフォーム番組で冒頭に颯爽と登場するような、モノトーンのおしゃれスーツに首もとにはスカーフの一枚も巻いたりしてる、ロマンスグレーの神経質そうな面長紳士…みたいな方を、本当に勝手に想像してました。

しかし実際打ち合わせに来てくださった浅海先生は、「あ、どうも」と気さくな挨拶がチャーミングな、近所のおじさんといった感じの方。(先生失礼なこと言ってすみません)

この先生が見事なんです。
方眼用紙の上にマジックと修正液を使って、みるみるうちに間取りを描いていくんです。

これが私達の家なんだと思うと、思わず目頭が熱くなりました。
私のわがままを集約して、家のタイプはイタリアネイトになることでまとまりつつありました。

その日はちょうど私の30と数回目の誕生日で、偶然グッディーさんで打ち合わせをしていました。
息子からそれを聞いたらしく、打ち合わせの最後にスタッフの皆さんからハッピーバースデイの歌とかわいいプレゼントをサプライズでいただき、今度こそ本当に泣いてしまいました。

ここ数年であんなに素敵な誕生日はありませんでした。
本当にありがとうございました。

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